01 多摩冶金の長年の功労者
多摩冶金には、82歳で現役で現場で働く技術者がいます。
彼の名前はMさん。
Mさんは1959年に多摩冶金に入社。
それから60年以上もの長きにわたり、多摩冶金で働いています。
1970年からは15年間、工場長を務めていました。
現在、曲がりとりという金属の曲がり矯正の技術は、多摩冶金の中にMさん以上の技術者はいません。
取材当日も、他の社員が曲がり矯正をした品物にクレームが入り、Mさんが修正しているところでした。
焼戻しした品物が0.5ミリ〜1.5ミリほどの曲がりが発生しても
Mさんの手にかかれば0.1ミリ〜0.15ミリほどの曲がりに矯正できます。
他社員がやれば、0.3ミリほどの曲がり矯正にしかならないというところから
Mさんの技術の高さがお分かり頂けると思います。
曲がりとりで意識していることを聞くと、
「どこが一番曲がっているかを確認して、一番曲がっているところをとる。」
とMさんは言います。
「曲がりとりはMさんがいなきゃダメだ」
と、他の社員からの信頼も圧倒的です。
ですが、
「この感覚を伝えるのは難しい。」
とMさんはあくまでも謙虚です。
多摩冶金の曲がりとりは、
丸棒・板材・パイプ・特殊形状に対応しています。
また、インコネル、S45C、アルミなどの実績があります。
そんな現役の技術者であるMさんですが、過去のことを振り返って頂きました。
1961年ごろ、吉祥寺本社から武蔵村山に会社が移転し始めた頃、
武蔵村山には会社も少なく、野原のような有様で、Mさんの他に社員は1人だけ。
武蔵村山の地が寂しくて仕方がなかったようです。
耐えられず、本社に戻してもらい、そこからローテーションで社員が武蔵村山に来るようになったそうです。
また、当時の社長(現会長)は先見の明があったといいます。
当時、自動車関連の機械部品のソルトバスと浸炭・雰囲気が主流でしたが、いち早く真空炉を導入し大ヒット。
自動車関連部品の下請けをやめ、多品種小ロットの自主路線に切り替え。
短納期よりも品質を重視し、品物が長持ちするようにしたこと。
どの決断もお客様に喜んでいただくためでした。
その度に、現場での苦労はあり、朝8時から深夜1時頃まで働いていた時代もあったと言います。
椅子で座って寝ることもあったと懐かしく振り返っていました。
現在の加工G長である、SG長はMさんのことをこのように言っていました。
「Mさんを一言で言うと、物静か・実直・熱心です。
Mさんは工場長時代、キャラの濃い社員たちをまとめるご苦労もあったと思いますが
社員から悪く言われているのを聞いたことがありません。
それは、Mさん自身が社員の良いところを見て接していたからだと思います。
今現在も曲がりとりの技術や溶接の技術者として、第一線で活躍していただいています。」
多摩冶金は、Mさんのような技術者に支えられています。
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